【2012・サンドスプラッシュ】一瞬の夏

千葉県富津市にある砂浜で、レースイベントを主催したことがある。「サンドスプラッシュ富津上総湊」という。ちょうど10年前のことだ。


海岸でレースを開催したい。そう考えたのにはいくつかの理由がある。その最たるものはなんといってもバイクに関心のない多くの人々の目の前でバイクのレースを見てもらいたい、という強い思いからだった。そのときオートバイの市場は青息吐息のように自分には見えた。三ナイ運動の爪痕は深く、オートバイを目にする機会は激減、メーカーからリリースされる新車は減る一方。だから世の中に見てもらうことが大事だと考えた。都心に近ければ近いほどいい。参加者はもちろん、たくさんの観客が期待できる。それは大きな経済効果につながると思われた。 ビーチレースといえば、フランス随一のリゾートでいまも開催されてるLe Touquet(ル・トゥケ)を抜きに語ることはできない。1000台以上が砂浜を駆け抜けるこの世界最大のビーチレースを始めたのは、あのパリダカールラリー創始者ティエリー・サビーヌだ。彼もまたアメリカで盛んに行われているビーチレースを母国フランスに持ち込み、観光の目玉にしようと画策したのだ。オートバイが地域振興の要になる。そんな夢をそのとき自分も見たのだった。


スタートから1kmの全開ストレート! ビーチレースの醍醐味はこれだと考えていた。復路は内陸の柔らかいサンドでスラロームを繰り返すレイアウト。日本のライダーは砂に慣れていない人が多いので、かなり苦労する=パッシングポイント=見どころになるだろうと考えていた。観客席は砂浜に沿って延々続く防波堤の階段。マシンの背景には横浜や横須賀の街が見えるはず。こんなロケーションいままでなかっただろう!?と自信を持って訴求したつもりだった。しかし残念なことにエントリーはあまり振るわず、またバイク関連だけではなく多くの一般企業にも協賛を募ったが関心も示されず、当日を迎えることになる。


好天だった土曜日のプラクティスだったが、翌日曜日のレースデイは未明から強風が吹き荒れ、アクアラインは通行止め。当日のみ参加予定者の中には来場を諦めた人もいたと聞く。広々としていた1kmのストレートにも潮が上がり、1/3ほども狭くなってしまった。しかしそれよりも驚いたのはせっかく砂浜に刻んだコーストラックが、強風のため日曜朝にはキレイさっぱりなくなっていたこと。数百本も打った杭はほとんど倒れ、コーステープもあらかた吹き飛ばされてしまっていた。慌ててマーシャルたちがテスト走行を繰り返し、ようやく各レースの開始時間に間に合わせることができた。


このころはまだドローンによる空撮もまだ一般的ではなかったが、撮影そのものが行われていないわけではなかった。ツテをたどり商業撮影を行っている会社を訪ねミーティングを行ったが、当時の機材で海岸での撮影はかなり難しいということを伝えられた。ひとつにドローンは風に弱いので強い海風でどこかへ流されてしまうため、それに抗えかつ一眼レフレベルのカメラを持ち上げられるモーターの出力が必要で、必然的に大型の(高額な)ハンドメイドドローンが必要になるということ。これだけでも見積もりはかなりなものになったが、同時にオペレーターの手配や機材を喪失した場合の費用などを加えていったらとても手が出せる金額には収まらなかった。


ドローンを断念した段階で既に撮影に関して気持ちにも予算にも余裕がなくなっていたので、車載オンボードカメラやスチール撮影について全く気が回らずカメラマンの手配も失念していた。レーススケジュールをこなすだけでほんとうに手一杯だったのだ。だからWithMeRacingの丸山さんはじめたくさんの方々がこうして動画にまとめていただき(GoProもいまほどあまり多くの人は装着していなかった)、イベントの記録を残すことができたのは本当にありがたいことだと思っている。舞台装置も何もない閉会式の惨状に、丸山さんは当時のWithMeGirlを「衣装なしだけど」と授与アシスタントとして貸し出してくれ、華を添えていただいたのも有り難かった。もうだいぶ消えてしまっているが、ネット上で検索すると当日来場いただいた方のブログの写真や動画が見つかるだろう。


ニコニコ動画から


60分クラスで優勝したAD-Tac氏のIRCレポがまだ残っていた。


あれから10年。世は再びのバイクブームだという。オートバイがニュースで好意的に取り上げられ、ツーリズムの一翼を担うと言われ、Youtuberたちの楽しそうな姿が拡散される。アウトドアブームとの相乗効果でこれまでバイクに関心も無かったような企業も関連商品に手を出すような社会情勢だ。もし10年前、この熱量がもう少し早く社会に満ちていたら。サンドスプラッシュはもう少し違う形で地域に受け入れられていたかもしれない。ふと、そんなことを思う。


このレースについてはあまりにもいろいろなことがあったので、開催までの経緯、運営中のこと、その後について多くを書き残し公表しようと思ったことが何度かあった。前例のないことをやり遂げた自負と喜びがある。しかし、じつのところいま振り返っても心を抉られるような辛い思い出のほうが圧倒的に多かった。出来事と詳細に触れていくと必然的に誰かや何かを攻撃する論調になってしまうが、それは決して本意ではないのだ。あの奇跡のような週末の輝きは特別なものだから、記憶を共有している人の心には眩しいまま残してほしいと願う。だから振り返りはこれくらいで。冒頭の開催ポスターは、いまでもいちばんの自信作だ。困難な日々の思い出は、またいつか笑って話せるようなそのときに。


この経験を経て翌2013年はもうひとつの開催目標だったハードエンデューロ「スクラッチマウンテン」を手掛けることになるが、その話はまた来年の10周年に。